おいしい空間と久留米産スニーカーのお店
福岡県の南部にある久留米市。タイヤメーカーのブリヂストンの創業地としても知られ、ゴムの加工の産地として発展。JR久留米駅と西鉄久留米駅をつなぐ明治通りの奥の商店街には、いまもレトロな雰囲気のこぢんまりとした居酒屋やラーメン屋などが多く軒を連ねる。実は焼き鳥店舗数が日本一、とんこつラーメン発祥の地、など面白い食文化のまちでもある。
そんな歓楽街から少し歩き、公園やマンションなどもある住宅街近く、アクセスもしやすい大きな通り沿いに見えてくるのは、グレーの壁と木の扉が洗練されたデザインのお店「PERSICA(以下ペルシカ)」だ。木の扉の向こうにはおいしそうな食品が並び、カフェだろうか、雰囲気ある空間が広がっている。しかし、エントランスの脇の壁にはなぜかスニーカーがかかっていた。
「2階がスニーカー屋なんですよ(笑)」と楽しげに話してくれたのはオーナーの牟田裕一さん。ペルシカはスニーカーや洋服などの日用品と食料品をメインとしたライフスタイルショップ。1階はパンやお惣菜など食料品が並び、自然光がさしこむ中庭を挟んで奥にある古民家が食堂となっている。
そして、2階では日用品を扱っているが、現在は久留米を代表するスニーカー2大メーカー「アサヒコーポレーション」と「ムーンスター」のスニーカーをメインに販売している。
スニーカーを扱うことになったのは、「地元の靴屋で働いていたというのがきっかけかもしれません」と話す牟田さん。牟田さんは高校を卒業後、アルバイト勤務していたのが靴屋だったという。
「靴やスニーカーを販売する仕事は楽しくて、どんどんのめりこんでいきましたね」
その後、牟田さんは知人が立ち上げたインポートスニーカーショップに勤務、飲食店経営を経て、現在は2012年に奥さまの絢加さんと一緒に立ち上げたペルシカを仕切っている。
もとは、明治に足袋をつくり始め、その後も運動靴などライフスタイルの変化とともに履物をつくり続けてきた久留米の国産シューズメーカー、「ムーンスター」と「アサヒコーポレーション」。靴屋で働いていた20代の頃から、牟田さんは自然と彼らと付き合い、スニーカーについて意見をかわしてきたという。筑後地方の伝統的な綿織物である久留米絣を扱う「gi/GOOD WEAVER」の幸田修治さんや開発スタッフと一緒に、久留米産のスニーカーに取り組んできた。
近年、両社は靴工場としてのOEMも受けていたが、オリジナルブランドを発表。現在、ペルシカでもそれらを取り扱う。これまでに久留米絣を使用したスニーカーも発表され、人気が高い。
アサヒコーポレーションの「SOLS」は、1960〜1970年代頃のオールドスニーカーのディテールを分析しつくられたもの。既存の定番デッキシューズのほか、シーズンごとに新しいデザインも登場するのはムーンスターの「SHOES LIKE POTTERY」。今シーズン、久留米絣を使用しているモデルもある。両者に共通するのは、国内屈指の技術、バルカナイズ製法を用いていること。布地にゴム加工を施す耐久性にすぐれた加工技術だ。
1階の食料品売り場に並ぶのは、国内外からセレクトされた調味料や瓶詰め、総菜など。牟田さんが奥さまの絢加さんと一緒に国内外の気に入ったものをセレクト。ガラスケースにはオリジナルの総菜が並び、隣まち大川市のパン屋「PARIS-MONTSOURIS(パリ・モンスリー)」の焼きたてパンが毎朝届く。おすすめは、「PAN DE MIE(山食)」。低温長時間発酵の食パンなんだそう。
また、昔ながらの製法で添加物を加えずに家族でつくる、アメリカの「Mead & Mead's」のメープルシロップや、鹿児島でつくられている「王さんの菜の花ラー油」などが並び、商品ひとつひとつを丁寧にセレクトしているのが伝わってくる。
「さまざまな縁でつながっていった生産者のものが多いですが、実際に自分たちが食べて気に入ったものを中心に取り扱っています」と牟田さんは話す。
中庭をはさんで2軒がひとつの敷地にあるという面白い構造のペルシカ。どちらももともとの建物を最大限に生かしたというが、「奥で食堂として使っている木造の建物が古く、改修工事は本当に大変でした。次から次へと問題が出てきた」と牟田さんは笑う。木の家具の風合いを生かして、シックで落ち着いた雰囲気の食堂スペースではゆったりとした時間を過ごせそう。
実はペルシカで販売する食料品は、もとは奥さまの絢加さんが先に始めていた雑貨店「OEUVRE(以下ウーブル)」で扱っていたものもある。
後編ではペルシカ同様、洗練された空間と雑貨が並ぶウーブルをレポート。
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文・塚原加奈子 写真・山本陽介